INTERVIEW

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  • ホワン・ミゲル・
    バレロ・アコスタ
    ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ
  • 阪本順治 阪本順治

 役作りで事前に準備されたことはありますか?

歴史上の人物を演じる時はいつも、間違いや失礼のないように俳優としてちゃんと準備しなければならないと思っています。中でも今回演じるフレディ前村は、ボリビアの日系2世。やるべき事は無数にあると思っていました。

原作の「革命の侍」と、監督が書いた台本からヒントを集めて、自分と似ているなと思う部分を探すことから始めましたが、実は監督からは「オダギリのままでいいから」ということを何度も言われました。監督からすると、フレディ前村と似ている部分を感じていたんでしょうね。

 全編スペイン語(ボリビアのベニ州の方言)での役作りの苦労を教えて下さい。

歴史上の人物他の国のセリフで芝居をするというのは、やはり気の長い作業になりますね。いくら正しく発音できても、感情が乗ってなければ話しにならないことですし。台本のスペイン語訳ができた時から、なるべく時間を多くとるようにはしていました。

ただ、ボリビアのベニ州の方言ということだったので、その地区出身の先生を探すのが苦労だったんじゃないかと思います。偶然ですがその方は、前村家とも交遊のある方で、フレディを演じる上でとても貴重な授業になりました。

スペイン語と言ってもそれぞれに方言がある訳で、キューバのなまりとも違います。キューバのスタッフやキャストからすれば、ボリビアなまりの日本の役者というのは面白かったのかも知れませんね。(笑)

 演じたフレディ前村さんについて、演じる前と後での彼への印象の違いはありましたか?

クランクインする前にある程度、自分なりのフレディ像を固めて入ったので、演じる前と後での印象が変わることはなかったと思います。

フレディを演じるにあたって、何が重要なポイントなのか、キーワードは何なのか、逃さないように注意しながら演じたつもりです。

 チェ・ゲバラについての印象、影響されたことを教えて下さい。

影響されたことはたくさんありますね。昔から、キューバ革命や、ゲバラやフィデルやカミーロ、その時代に興味があったんですよ。キューバ自体にも興味がありました。

初めてキューバを訪れたのは、17年前ぐらいになりますけど、その頃からフィデルやゲバラが目指した国の在り方に興味を持っていましたし、ゲバラの生き方そのものに影響を受けたりもしました。

ただ、ゲバラは象徴的な存在として国際的にも有名になっていますが、それこそフレディ前村のように名もなき戦士たちというか、同じ志を持って闘いの中で命を落とした人がたくさんいることは忘れたくない。

もちろん、この映画はそういう側面も描いているものだと思いますが、自分としてはゲバラだけを特別視したくないなとは思っていますね。

 阪本監督の映画には3度目の出演となりますが、今までとの違いについて感じたことはありましたか?

一番最初に声をかけて頂いたのは、12年ほど前になると思うのですが、もう一回りしたんだなと、(この間も二人で話していて)感慨深いものを感じますね。

『人類資金』の時も、日本ではなく海外での撮影で、その時の監督の姿も見ているとはいえ、今回はキューバロケ。(苦笑)今までの国とも全く違う環境で映画を撮影するというのは、本当に大変なことだと思うんですよ。

案の定、想定外のトラブルが毎日のように起きて、日々いろんなことに向き合う監督の姿を横で拝見していましたが、その都度柔軟に頭を切り替えて、対応していく姿が今までの阪本監督のイメージとは違いましたね。

撮影が終わった夜には、その日の復習と翌日の予習を怠らず、熟考を重ねて現場に向かうから、欲しいものはブレずに決まっている意志の強い監督。というイメージでしたが、今回は自分の考えに凝り固まることなく、目の前の問題に対して柔軟に変えて行くあの姿勢は見ていてすごく頼もしかったし、本当に現場でものづくりをしているなという感じを受けましたね。

そういうトラブルに対応できない監督だったら、進まなかったと思うんですよ。たぶん終わらなかっただろうし。今回本当に、阪本監督の凄さというものを改めて感じましたね。

 監督と事前に話されたことはありましたか?

クランクインする前に、今回は色んなことを試したいと仰ってて、「今までの撮影方法とは恐らく変わるから、よろしく頼む」と言われていたのを覚えています。中でも印象的だったのはルイサとのやりとりのほとんどを1カットで撮影していったことでした。あれは正直驚きました。(笑)

セリフ量もあるし、かなり緊張感を持って挑みました。他のシーンも1カット撮影が多かったので、それも新しい阪本監督の姿だと思います。

なので、完成したものを観るのはすごく楽しみですね。今までの監督の作品とは少し違うものになるのではないかと思います。

 今回、出演オファーに即答されたそうですね。

阪本順治監督が撮られると聞いて、すぐに決めました。仕事をする前から監督の作品は観ていて、いつかご一緒したいと思っていたので。今回初めましてだったのですが、会った瞬間にしびれるかっこよさがありました。メイキングで見ていた阪本監督のイメージがあったのですが、思っていたイメージと変わらず力強い方でした。

本の作り方が、映画らしい魅力的なもので、広島編は一部ですけど、濃厚な4日間でした。

 撮影の際、平和記念公園で献花をし、黙祷をされましたが、その時の想いは?

撮影に入る1週間前に一人でふらりと広島に入り、平和記念公園にたたずみながらいろんなことを感じて、祈願などをしました。初日の撮影が終わった夜にも公園に行きましたが、月が満月で何か神秘的な夜でした。その時の月は、きっと本作が良い作品になるように、力を貸してくれるような、背中を押してくれるようなそんな月でした。そうして臨んだ撮影時の心境は“無”の状態でした。

 念願の、そして初めての阪本監督の演出はいかがでしたか。

阪本監督の色があって、今までにない演出方法(リハーサルが多い)でしたし映像の細部にもこだわりがすごかったです。

演技指導にも愛を感じました。自由に演技をした後にアドバイスをくれるから気持ちよくやれましたし、力を発揮できた気がします。

監督はユーモアをもった方なので面白く、衣装合わせの時に、ホクロをつける提案をしたら「僕は俳優から1つだけお願いを聞くんだ」と言って採用してくれました(笑)。

 当時、ゲバラを取材した実在の新聞記者を演じられての感想は?

実在した人物を演じるのは2人目になるのですが、外見から入る役作りは初めてでした。

林さんの資料が少なく、見えない部分を埋めていく作業が多かったのですが、監督が、ご遺族から聞いた林さんにまつわるお話しをしてくれたので、それは取り入れ、想像しながら自分なりに役作りをしました。

 平和記念公園や広島の街の雰囲気は、永山さんにどんな作用をもたらしましたか。

今回、広島に来て、川沿いを歩いていた時に、資料で見た景色や映像が目の前に浮かんだりして、いろんな事を思いましたね。今回広島弁を話すという事で、街を歩きながら人々の声に耳を傾けていましたが、思っていたよりも広島弁が柔らかくて和んだんです。そういう部分を役に活かせればと思いました。空が広くて夕方になると影が伸びるという経験を久しぶりにでき、嬉しかったです。

 チェ・ゲバラとは、キューバ人にとってどのような存在ですか。

キューバには「共産主義のパイオニアたち、チェのようになろう」というフレーズがあり、“チェ”はヒーローとして崇めたてられ、子供たちは「チェはヒーローなのだ」と教えられます。キャラクター的にも格好よくカリスマ的で、フレディ・前村のように他国の人が“チェ”のため、そしてキューバのために戦いたいと思えるほど、魅力的な革命家なのです。

 キューバ人として初めて、ゲバラを演じられたんですよね。

役者のキャリア上、テレビ出演が中心だった私がこんな大役を担うなんてすごい挑戦でした。皆さんを納得される演技をするには、キューバ、さらには世界中の方々が彼に抱いているイメージを学ばなければなりませんでした。“チェ”の書く字から、声、発音まですべてを再現したのですが、“チェ”はアルゼンチン人にしては発音がニュートラルで、それがとても難しかったです。

 阪本監督とのお仕事はいかがでしたか。

自分は本物の“チェ”よりも少し大きな体格なのですが、監督は私を選んでくれました。オーディション合格後、監督の作られた映画をいくつか観て、そのスタイルを勉強しました。現場では、通訳を通さねばならなかったのですが、最初に広島で撮影を始めた時、目を見ただけで監督が何を言いたいのか、どんな演技を求めているのかがわかりました。役づくりのために必要な役者の裁量を、最大限、阪本監督は与えてくれましたね。

 その広島での撮影で、印象に残っていることは?

原爆ドームと原爆資料館は、本当にショッキングでしたね。これまで味わったことのない感情がこみあげてきて、胸が締め付けら、それをどう説明していいのか今も難しいです。一緒に来日したキューバ人俳優は、資料館で涙を流していましたし、きっと“チェ”もこの悲しみのエネルギーを体に刻んだのでしょう。広島のシーンで共演をした永山さんは大変若いアクターですが、落ち着いていて、しかも同じ島国育ちだからか、キューバの役者と感受性が似ていると感じました。リハーサルを重ねて臨んだのですが、言葉が違っても二人で共有する世界を作りだせました。

 では、フレディ前村役のオダギリさんとの共演は?

一緒のシーンは多くはないのですが、それぞれ強烈でした。撮影前に「この映画の主演はとても有名な日本の俳優」だと聞き、実際日本に行くと誰もがオダギリさんのことを「素晴らしいアクター」だと言っていたのですが、そのことを現場で実感しましたね。再三助けていただき、感謝しています。私が俳優としていつも大切にしているのはアイコンタクトで、目線で互いが通じあうことが重要。オダギリさんともたくさんのアイコンタクトを交わせたと思います。キューバではフレディ前村のことを知っている人は少なかったのですが、本国で公開された際には彼の演技できっと広く伝わることでしょう。

 この映画を製作しようとしたきっかけを教えてください。

四年前に考えていた別の企画で、ボリビア日系二世のフレディ前村という人が、チェ・ゲバラと一緒に戦って死んだということを知り、プロデューサーに話したところ、やりましょうとなりました。

彼についてリサーチをするためにキューバに留学してからのご学友の方々に取材したり、ご家族が書かれた「革命の侍」という本を読みました。

 フレディ役にあえて日本人のオダギリジョーさんを起用した理由を教えてください。

取材したみなさんが言うには、フレディの印象は、寡黙で限りなく誠実ということ。それをどういう風に魅力的にするかが今回のテーマだったし、それに見合う役者って誰かなと思った時に、以前から知っているオダギリ君の普段からの佇まいを思い出して選びました。スペイン語圏の俳優を抜擢することは考えていませんでした。あくまで、日本人の監督以下映画人が、まずは日本映画として成立させようとしていたので。

でも、出来上がってみたら、これ、キューバ映画でもあるし、洋画ですね。

 監督自身チェ・ゲバラをどう思われていますか。そのゲバラをこの映画でどう描きたいと思いましたか。

日本ではわずかな資料でしか彼の事を知ることができないですが、自分の命と引き換えに、自国のアルゼンチンのみならず、圧政にあえぐすべての国々の解放に人生を捧げようとした桁外れの人だと思います。

彼の魅力は、孤高の人であること。ちゃんと癖のある人だったし。

自身言っているようにある種の夢想家であり、不可能なことに臨む人であり、そういう一筋な人の孤高みたいなものを描ければと思いました。それに、フレディがどう感化されたのかを。

 ゲバラ役の配役について
キューバの俳優を抜擢した理由と、そのゲバラ役のホワン・M・バレロさんに決めた理由を教えてください。

チェ・ゲバラ自身はアルゼンチンの人だったけど、日本とキューバの合作でやる以上、キューバの俳優さんでやるべきだと思いました。

ホワンは、控室で寡黙にオーディションの出番を待っていたその姿が、その肩を落としてうつむいている姿が、僕の思い描く孤高のゲバラの印象に似ていたというか、演技の上手い下手ではなかったですね。何度も、別の人を面接したけど、早い時期のオーディションで会った彼が、結果、忘れられなくて、決めました。

 オダギリジョーさんの役作りについて、全編スペイン語での役柄ですが、いかがでしたでしょうか。

彼も何十回と海外の作品に出て色んな言語を喋っているから、その体得の仕方は信頼していました。本人は、言語を覚えることよりも、覚えたその先の心配をしていました。つまり、他国の言語で感情をどう表現するか、です。が、見事に、チェと会話する場面でも、フィデル、ルイサたち学友と会話する場面でも互いの気持ちの行き交いが成り立っていたので、安心しました。彼しかできない仕事だったと思います。

 長期間滞在でのキューバロケはいかがでしたか。思い通りに撮影できましたか。

外国に来て映画撮れば、文化も習慣も違うし、物づくりの姿勢は一緒だけれども、やはりどこかに差があるんですよ。でもその差をいかせばいい。その時に東京でゴリゴリ書いた脚本が、壊れていくのも、やっぱり楽しいですよ。

ここはキューバの人間から見たら、おかしいって言われて壊れても全然いいですよ。

壊れることによって、次の殻が破られて、何かが生まれる。しんどいですけど、結果それが面白いんですよ。

 今回の撮影方法についての狙いを教えてください。

商品性と作家性のバランスをいつも考えるんですが、どうせ異国の文化にまみれるなら、僕なりの色を出したいなと思ったのは確かですね。

当然、娯楽として成立させなければいけないけど、型にはめないでやろうと。

台本を書いている時のト書きで、ここは大事だと思っていても、撮りながらそれよりももっと力を注ぐべきところを見つけたり、自分の台本を信じる部分と、一回棄てようという部分で、往復運動してましたね。それがカメラワークにも現れたし、やっぱり人を撮りに来ているわけだから、スティデカムを多用しつつも、カメラワークは目立ってはいけない。そこだけ間違えたくないなっていうのはありました。

 ハバナ市街での群衆シーンについて

台本上では、あのような導入にはなっていなかったんです。キューバ国歌を歌う集団が現れるような。撮りながら、あぁ、オレなんで、この時代のそれも他国キューバの群衆を演出してるんだろうと、不思議な気持ちになりました。

でもどうせ俺が撮るんだったら、自分の好きなケレンをやりたいなと。結果、とってもきれいなシーンになったし、キューバのスタッフからも「グラシアス」と言われました(笑)

 キューバ俳優・スタッフとの共同作業はいかがでしたか。

異国での撮影を何度も経験していますが、どうしても、最初はぎこちなくなるんです。が、彼らの熱に当てられたというか、日本人スタッフが、ラテンの血に染まったのか、あんなにキツい現場であったにも拘らず、12時間労働という制約もあったにも拘らず、なんでか、早い時期からひとつになれたというか。加えて、日本の映画人として悔しいなと思ったのは、映画人は画家や彫刻家や音楽家と同様、芸術家として、認められていることです。日本じゃ、使い捨てですからね。

エルネスト